[Taka-Talk]我が師匠JIMMY SLYDEへの想い その1
今回は、僕にとって師匠であり、タップの父という存在だったDr.JIMMY SLYDEへの僕の想いをお話ししたいと思います。尚、HP開設のご挨拶と重複する所もあると思いますがご了承下さい。
僕が、子供の頃、実家がレコード店を営んでた事もあり、いつも店頭で、ミュージシャン達の映像を流してたました。
僕の祖母が、タップやジャズが好きだった事もあり、ジャズ演奏の映像も度々流してたんですが、その映像の中に、JIMMYを含む、4人のタップマスター達が出演する、Berlin Jazz Festivalの映像があり、それを見て衝撃を受けた事がタップを始めるきっかけになりました。
JIMMYの他には、BABY LAURENCE、CHUCK GREEN、BUSTER BROWNといった、ジャズタップのマスター達が出演してたんですが、僕は小学生だった事もあり、タップというダンスに全く知識が無く、彼等の年齢や、どんなに凄い方々なのかという事さえ知らず、単純に『この爺さん達、無茶苦茶カッコイイなぁ』と思ったんですが、実は、彼等はまだ50歳代で、爺さんというのは、ちょっと失礼だった気がします。
全員が、カッコ良かったのは言うまでもありませんが、その中でも、JIMMYは、特別にカッコ良く、楽しそうで、目が釘付けになった事を昨日の事の様に思い出します。
その映像を見た後、すぐにでもタップを始めたいと思って、スタジオを捜したんですが、僕が住んでた高知には、教えてる先生がいなくて、ちょっと似てたブレイクダンスを始めました。
きっと、JIMMYがやってたスライドというテクニックがブレイクダンスのムーンウォークと似てる様に感じたんだと思います。
すると、不思議なモノで、ブレイクダンスのレッスンをしてるスタジオのジャズダンスの先生が、タップをかじった事があるというので、教わる事になり、タップ人生がスタートした訳です。
タップを習い始めた頃は、何だかイメージと違うな?と思いつつも、練習してれば、あんな風に踊れる様になるんだろうと信じて、練習しながら、タップダンサーの映像を捜して見る様になり、沢山のタップダンサーの存在を知りました。
ただ、JIMMYの映像は、ナカナカ見付けられなくて、やっと見つけたのが映画の『COTTON CLUB』のHOOFERS CLUBのシーンでして、見つけた時は、「アーッ!居たーッ!」と興奮しましたね。
彼の出てるシーンは、ほんの少しでしたが、タップシーンが多かったので、何度も映画館に行って、ビデオが発売になったら直ぐに買って、ノイズが入る程、何度も繰り返して見た事は言うまでもありません。
その後に、彼の映像を見たのは、18歳の時、タップを学ぶ為に上京して間もなくの事でした。
それは、やはり映画で、タイトルもズバリ『TAP』でした。ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、主演は、タップダンサーで、大スターGREGORY HINESで、助演にSAMMY DAVIS JRや多くのタップマスターが出演してまして、JIMMYには、SLIMという役名がついてました。
タップマスター達がGREGORYを囲んで踊るChallengeのシーンもカッコ良かったですよね。
僕は当時、STUDIO TAP INN(現TAP IN)加藤邦保氏(主宰)に習い始めた頃で、スタジオには、現在、仙台でタップを教えてる佐藤勝さんや、ARTNのみすみゆきこさんや、現在、福岡でタップを教えてる青木トモエさん、パパイヤ鈴木こと鈴木ひろしさんがいて、みんな映画『TAP』を見て盛り上がってましたよ。
ちなみにTAP INは、多くのタップダンサーや、指導者を輩出してるタップ専門スタジオで、Studio HOOFIN’のKENTAこと浜永健太君は後輩ですし、僕の妹の様な存在のジャズタップダンサーの宇川彩子(SAMこと清宮悟と僕で結成したジャズタップユニットSTEPPIN’ JAZZのメンバーでもある)もTAP INNの出身です。
その後、加藤先生の元、スタジオの生徒が出演する、発表会レベルじゃない舞台を作る為、1991年にJAM TAP DANCE COMPANYが設立され、舞台を重ねてたんですが、そんな、ある日の事、加藤先生から僕に思いがけない話しがありました。
それは「近いうちにアメリカからプロのタップダンサーを呼んで、カンパニーのみんなと一緒に出演してもらう舞台をやりたいんだけど、川村は、誰が良いと思う?というか誰と踊りたい?」というモノでしたから、僕は憧れ続けてきたタップダンサーの名前を間髪入れず言いました。
「JIMMY SLYDE!」
この後は、次回お話ししますね。お楽しみに!