[Taka-Talk]タップダンスのルーツと歴史
先日、地方でタップを教えてる親しいタップ仲間から「タップの由来、歴史について教えて頂きたい。」というご質問を頂きまして、僕なりの見解をお伝えしたんですが、同様に思ってる方々もいらっしゃるのではないでしょうか?
というのは、タップダンスの起源や歴史には、幾つかの諸説があるので、本当のところ、何が正しいのか分からないんですよね。
「フラメンコやアイリッシュダンスやガンブーツダンスがルーツ」と言ってる方々が時々居ますが、それはアメリカンタップと同様に、音を出して踊るダンスだから、ルーツなのでは?と考えた方の{想像}が拡散してしまったんだと思いますが、音楽的な背景や、時間経過が繋がらないので、それが{間違い!}である事は間違いありません。(何だか言い回しがややこしいですが)
そこで、色んな方々の唱える諸説を分析した上で、僕なりの見解をコラムに書く事にしました。
タップダンス(アメンカンタップ)の起源には、諸説ありますが、僕は、19世紀の中頃、南部の黒人達によって始められたという説が濃厚だと思います。
その黒人達とは、18世紀初頭に奴隷としてアフリカから米国に連行されて来た方々の子孫であり、その多くはクリオール(黒人と白人のハーフもしくは、その子孫)と呼ばれる方々で、ジャズの歴史とも密接に関わって来ます。(というより、タップはヴォーカルのダンス版であったと言った方が分かり易いと思います。)
また、彼らは、其々の出身地域によって、違いはあるモノの、祖先伝来のリズムを持っていて、アフリカにいた頃からリズムに乗って仕事や宗教的な行事を行なってたみたいなんです。
彼らは、奴隷として米国に連れてこられてからも、歌いながら仕事をし(ワークソング→ブルース)、キリスト教への強制改宗後も、歌いながらお祈り(スピリチュアルズ→ラグタイム)をしていました。
これは、ジャズと呼ばれる音楽の起源でもあるんですが、その教会で歌いながらお祈りをすると同様に、足でリズムを取りながら踊ってた方々も居たんです。
また、彼らは礼拝後、教会の外でもあるモノは歌い、あるモノは楽器を奏で、あるモノは足でリズムを刻みながら踊ってたワケで、それがタップダンスのルーツというワケですが、当初はタップスなんて立派なモノはなく、ペニー硬貨や革を靴に張り付けたシューズを履いてたそうです。
黒人タップダンサーとして、最初のスターであり、ニューヨークの市長も務めた(非公式ではありますが)ビル・ボージャングルス・ロビンソンは、ペニー硬貨でも革でもなく、堅い材質の木を張り付けてた事は、タップダンサーの中では有名な話です。
タップダンスはジャズ音楽を深い係わりを持ち、ジャズ音楽がワークソングからブルース、スピリチュアルズからラグタイムへと発展した音楽にルーツを持つ様に、タップダンスもその音楽と共に発展し、様々なスタイルへと進化や発展をし始めました。
つまり、ジャズがブルースやラグタイムから、スイング・ジャズ→ビ・バップ→ハード・バップ→フリー・ジャズ→クール・ジャズ→フュージョン、更にはアシッド・ジャズ等、もはやジャズとは呼びにくいロックテイストの音楽表現にまで変化を遂げる中、タップも同様に変化を遂げて来たんです。
そのジャズと呼ばれる音楽の原型を留めない位の変貌振りに、近年は原点回帰とまではいかなくても、スイング・ジャズや、俗にモダン・ジャズと称されるビ・バップやハード・バップが見直される様になって来ました。
ちなみに、僕のジャズタップというのは、モダン・ジャズという分野の音楽表現です。
トップレベルのタップダンサーで音楽を無視した様なタップダンサーは現在に至るまで存在しませんが、アマチュアレベルのダンサー達は、ステップばかりに目が向きガチで、そういう方に接してる方々は、自ずと音楽性の乏しい表現になってしまってる様にも思います。
例えば、グレゴリー・ハインズはロック音楽に、サビオン・グローバーは、ファンク音楽に傾倒し、タップダンスに大きな変革を持たらしました。
彼らが表現してた音楽は、ジャズではないにしても、音楽性は高いんですが、彼らの踊る姿に影響を受けたアマチュアの方々は、表面上のステップばかりに目が向いてしまい、本質を見失ってしまってる!とも言えると思います。
そういう意味で、サビオンは「僕が名付けたワケじゃないけど、ファンクタップという言葉やステップばかりが独り歩きをして、僕の考える事とは全然違うモノに変わってしまった。」と嘆いてましたよ。
誰とは言いませんが、「ファンク・タップは自分が作った!」なんて口走ってる日本人も居ますからね。
そもそも、ファンク・タップっていう言葉(ジャンル)は、グレゴリー・ハインズが主演を務めた{ジェリーズ ラストジャム}に出演したサビオンのタップスタイルを観て、プロデューサーのジョージ・C・ウルフが名付けた言葉であり、「自分が作った!」なんて口走ってる日本人には「間違いなく君が作ったモノじゃないからね!」と言ってあげたいですよ。(笑)
ちなみに、サビオンは、タップスタイルで言うと、今は完全にジャズタップなんですよ。
あと、 タップダンスの歴史を語る上で、スイング・ジャズ全盛期の1930年代後半から1940年代後半に掛けて活躍されたフレッド ・アステアやジーン・ケリーに代表されるシアター・タップというスタイルを忘れてはいけません。
それ以前のリズムやパッション主体のダンスから、身体全体の動きにも目を配り、タップを大きく発展させたのは言うまでもありません。
ただ、当時の黒人のタップダンサーの中には、彼らをタップダンサーとして認めなかった人も居た様ですが、JIMMYをはじめ、ジャズタップ系のマスター達は誰として彼らをタップダンサーとして認めない人なんていないし、僕も彼らの事は、本当に素晴らしいタップダンサーであったとしか言えません。
また、さほどメジャーにはならなかったタップダンサーにも、素晴らしい方々は沢山居ましたよ。
これが、僕のタップダンスの起源や歴史に関する見解であり、「それを知る事がどれ程の意味があるの?」と言われてしまうかもしれませんが、それは、先人達からの大きな遺産であり、彼らへの敬意だと思ってます。
というワケで、簡単に書かせて頂きました。
えっ!長過ぎるって?
全然書き足りないですよ。(笑)